冷たい冬が押し寄せて、僕らを攫って呑み込んでゆく前に。

 僕らの間に埋めることができない大きな溝をつくる、その前に。



 長い冬を一人で過ごすこと。それは寂しすぎるから。

 君の暖かな手を、どうしても掴みたかったんだ。





 12.The scent of fascination.





 風が冷たく吹き付ける。

 リリーはを待ちながら、小さく身震いした。

「あーもう、ったら・・・まだなのかしら」

 図書館に本を返すだけだから、と走っていったきり、彼女は戻ってこない。

 次の授業は地下牢教室で魔法薬学だ。

 スリザリンの寮監で、特別意地悪な先生でもないのだが、遅れるのは流石に勘弁して欲しい。

 ふと、後方からどたばた走る音が聞こえてきた。

 呆れて漏れる、溜め息。

 彼らにとっては減点など、これっぽっちも痛手ではないのだろう。



「エーバーンスー!」

 聞き慣れた、声。

 肩を落として、リリーは振り返った。

「何の用なの? ジェームズ」

 ジェームズは、それはそれは長い間走っていたのだろう。

 リリーはマフラーが欲しいくらい寒いのに、彼の上気した頬には、うっすら汗まで見えた。

 最近、ジェームズと愉快な仲間達はこれでもかというほど校内を走り回っている。

 大抵は管理人のフィルチに悪戯を仕掛けているからであって、グリフィンドールは毎日減点の嵐だ。

 それにまで加わっていると聞いたときは、リリーは気が遠くなったものである。

「やあエバンス、フィルチから逃げてたら君が見えたものでね」

「見えたものでねって・・・朝食でも昼食でも会ったうえに、授業は毎時間同じじゃない」

「あのねエバンス、僕はいつでも君の傍に居たいんだけど・・・」

「待てー!! ポッター!!」

 フィルチが廊下の端からジェームズを見つけ、走ってきた。

 ジェームズは苛々と髪を掻き回す。

 ただでさえくしゃくしゃな髪が、ちょっと酷いことになってしまった。

「だぁもう、しつこいなぁ・・・

じゃ、エバンスまた後で! 地下牢で会おうね!」

 風と共に、寧ろ風になって去りぬ。

 脱兎の如き素早さで、ジェームズは反対側に駆け出した。

 その後をフィルチが猛スピードで駆け抜ける。

 リリーは呆然と立ち尽くした。

「お待たせリリー! って・・・

どしたの? ぼーっとしちゃって」

 やっと出てきたが、首を傾げた。

 リリーは二人が駆けていった方向を見ながら、呟いた。

「ほんと、何だったのかしら・・・・・・」







「ペアを組んで、すぐに取り掛かりなさい」

 先生のこの一言の後、あちらこちらで相手を探す声が聞こえた。

 もいつものメンバーを見る。

 視線だけで尋ねると、ジェームズは顎に手を当てて唸った。

「うーん、どうしよっか・・・僕としてはエバンスと組んでも一向に構わないんだけど・・・」

「いかれた妄想を突き崩すようで悪いが、彼女はとっくにとくっついちまってる」

 シリウスがきっぱりと言い放った。

「シ、シリウス、言い過ぎじゃあ・・・」

 ピーターが苦笑いをして言った。

 近頃のジェームズは、煩いくらいにエバンスエバンスと口にしている。

 彼の言い分によると「ちょっと本気で攻めてみたくなってね」だそうだ。

 その台詞を思い出し、は小さく溜め息をついた。

 あまり攻めすぎるのも逆効果ではないだろうか、と。



 顔を上げた拍子に、近くで困っている顔を見つけた。

「リーマス!」

 声を掛けられたリーマスは、些か気まずそうに顔を逸らした。

「やあリーマス、ペアは決まってるかい?」

 リリーの話題から離れたジェームズが、気さくに尋ねた。

 少し顔を赤くしてリーマスは俯き、首を横に振った。

 シリウスとは顔を見合わせる。

 ややあって、シリウスが髪を掻き揚げた。

「おいリーマス、一緒にやろうぜ」

「えっ・・・ちょっとブラック・・・」

「ファミリーネームで呼ぶな。俺らあっちでやってるからな」

 慌ててどもるリーマスの大鍋を引っさげ、シリウスは行ってしまった。

 残された三人は顔を見合わせる。

「いつも通りだと僕とピーターが組むことになるけど・・・」

 遠慮がちにジェームズが言った。彼にしては珍しいことだ。

 はにっこり笑って答える。

「うん、いいんじゃない? 僕は他の人と組むよ」

「でも、グリフィンドール生はもう皆ペアになってるよ?」

 ピーターがそう言うと、は教室の端に目を留めた。

「セブルス!」

「・・・え、スネイプ!? ちょ、ちょっと待った!」

 止めようとするジェームズを無視して、は呼びかける。

「一緒にやろう、まだ組んでないよね?」

「・・・ああ、仕方が無い」

 は、そっちに行くよと笑いかけ、鍋を持った。

「そういう訳だから、行ってくるね。頑張って」





 教室中に、湯気と鼻を突くにおいが充満している。

 は思わず顔をしかめた。

「くっ・・・さいねぇ、セブルス」

「言葉に出すな、認識したくない」

 セブルスが心底嫌そうにそう言って、鍋の中に材料を足した。

「冷たいね、この前より」

「煩い。こんな所で仲良くなんかしてみろ、二つの寮が暴動を起こす」

「酷い話だね、僕は本来無所属だっていうのに」



 てきぱきと作業を進める二人。

 その様子を、シリウスは横目で目撃した。

「ジェームズ!」

「何?」

「いつからあの二人はあんなに親しくなったんだ!?」

 焦って問いただすと、険悪な表情でジェームズが干しイラクサを鍋に振り入れた。

「僕が知りたいくらいだね。なんだって、よりによって、スネイプなんかと!」

 一言一言に力がこもり、蛇の牙を砕く強さが半端なくなっていく。

 横で怯えて震えているピーターを見て、シリウスはその話題を出した自分に後悔した。

 そして手元をよく見ずに、持っていたものを鍋に入れようと手を伸ばした。

「あ、待って・・・」

 小さな声がして振り向いてみれば、リーマスがシリウスの手を抑えていた。

「・・・イラクサはまだだよ」

 やはり俯き気味にリーマスは言った。

 シリウスは前に書いてある作業工程を見る。

 なるほど。干しイラクサは、蛇の牙の後ろに記されていた。

「ああ悪ぃな、サンキュー」

 そう言われて、リーマスは首を振った。

 俯いて、嬉しそうに微笑む。

 しかしすぐにジェームズと話し出したシリウスは、そんな事を知る由も無かった。





 の鍋の中からは、早くも白く輝く湯気が立ち上っている。

 リリーは目を瞬かせ、作業の手を止めた。

「いつも思うけど、あなたって作るの速いわよね。なんか作り慣れてるっていうか・・・」

 煙の向こうでは悪戯っぽく笑った。

「ま、ね。そこら辺はちょっと訳有りかな?」

「あら、また内緒のこと?」

 リリーは鍋の中にイラクサを流し込み、探るように聞いた。

「んーん、そこまででもないよ。専門の本読んだり、友達に聞けば分かるもの」

 こんな事を言われては、ますます気になるではないか。

 唇を尖らせ、リリーは攪拌を始めた。

「それはちょっと面倒だわね。えっと、右に二回、左に六回・・・」

 がその手を上から握った。

「違うよリリー。右に一回半、左に六回、右に半回だよ。

順番通りに覚えなきゃ。間違ったら髪の毛がモワモワになっちゃう」

 モワモワとはつまり爆発するということ。

 はいたって真面目なのだが、リリーは思わず噴き出してしまった。

「あーリリー笑ったー」

「ご、ごめんなさい、あんまり面白かったものだから・・・」

 肩を震わせながらそう言うリリー。

 むーと言いながら、もつられて笑った。





 今のジェームズの攪拌は、正直見ていてヒヤヒヤする。

 セブルスとが一緒に作業をしている事で、まだ不機嫌なのだ。

 しかもが持ちかけた話なのに、彼の中ではセブルスがを無理に連れて行ったことになっている。

 シリウスはそんな親友に溜め息をつくと、視線を外し、に向けた。

「あいつもう終わってる・・・」

 はリリーと喋りながら、小瓶を机に置くところだった。

 そしていつものように余った薬から別の何かを作ろうとしているようだ。

 今日は何を鍋に足そうとしているのだろう。

 シリウスは身を乗り出してもっとよく見ようとした。

 その時、ジェームズが彼に声をかけた。

「なあシリウス?」

「ん?」

 振り返った瞬間、シリウスのローブが鍋の端に引っかかった。

 彼の体が向くのと同時に、鍋が大きく揺れた。

 誰かが声を上げた。



「シリウス危ない!」



 その警告で、シリウスは自分の身に何が起きようとしているかを初めて悟った。

 突然のことに身動きが取れないシリウス。

 ジェームズもピーターも動くことができなかった。

 鍋がシリウスに向かって大きく傾く・・・・・・



「エバネスコ! 消えよ!」



 先の警告と同じ声が呪文を唱えた。

 零れかけた魔法薬は、綺麗に消え去る。

 シリウスはただ呆然と隣を見た。

 杖を出し、ゆっくり息を吐くのは、リーマス・ルーピン。

 ジェームズもピーターも、それを偶然見ていたも、驚いて目を丸くした。

 リーマスは杖をしまうと、キッとシリウスを見据えた。

「全く・・・余所見ばっかりしてるから、こんなことになるんだろう?

もしも零れて君にかかってたら、大変なことになってたじゃないか」



 リーマスが話すのを聞いたのが、初めてのことのように思われる。

 相手を真正面から見て、しっかりした口調で。

 鳶色の瞳がこんなにも活き活きしているのを、彼らは、そして周りの生徒達は初めて見た。

「ご、ごめん」

 少々圧され気味にシリウスが謝った。

 溜め息一つ。

 リーマスは安堵した顔で微笑んだ。

「分かってくれたら、それでいいよ。

薬、かかってない?」

 シリウスは頷いた。

 ピーターが笑顔を浮かべる。

「やっと笑ってくれたね」

 がセブルスの隣で嬉しそうにしている。

「あんなに友達を拒んでたのに、どういう風の吹き回しだい?リーマス」

 決して咎めるような口調ではなく、笑いながらジェームズは聞いた。

 リーマスは自分のとった行動に驚きながら、苦笑いを浮かべた。

「ん、どんな風なんだろう・・・よく分からないな」



 そう、確かそれは漠然としたもので。

 確証は持てないが、急に試してみたくなったのだ。

 一回でいい。

 彼らに賭けてみたくなったのだ。



―――友達になってくれるかもしれない―――



 ただ一筋輝く希望を、彼らになら賭けてみてもいいと、漠然とそう思ったのだ。

 もしもこの人たちが拒むのなら、この先の人生では、もう二度と友達を望まない。

 それは一生に一度の大きな賭け。



「だけど、そうだね、例えるなら・・・・・・」







 例えるなら、咲き乱れる花の魅惑の香りを運ぶ、暖かな春の風







「エバンス! ! こっちこっち!」

 リリーとが夕食に下りていくと、ジェームズとピーターが席の端から手を振っていた。

 二人はそこまで歩いていく。

「一緒にどう?」

 が微笑んで、横の席を示した。

「喜んで」

 さすが貴族の令嬢、とでも言うべきか。は慣れた様子での隣に腰を下ろした。

 リリーもそれに倣い、の向かい、シリウスの隣の席に着く。

 ジェームズが、隣に座るリーマスを見ながら言った。

「まだちゃんとした紹介はしてないよね?」

 リーマスは頷く。

「そうだね。初めまして、じゃないけど・・・

僕はリーマス・ルーピン。どうぞよろしく」

 穏やかな微笑みを浮かべ、自己紹介をするリーマス。

 船の時と同一人物だとは、まさか思えない。

 リリーはにっこりと笑みを浮かべた。

「リリー・エバンスよ。まともに話せて嬉しいわ」

「あはは、僕もだよ。―――ジェームズ、睨みを利かせるのはやめてね」

 リーマスは微笑んだまま、そう言った。

 ジェームズのほうを見もせずに。彼の背筋が凍りついたのは、また別の話だ。

「あたし

 いつものように笑いながら、は右手を差し出した。

 リーマスは合点したように手を打った。

「そっか、ねぇ間違ってたらごめんね。

って、あの魔法薬学の権威の?」

 は笑った。

「まぁ、よくそう言われるね」

 リリーがシリウスの横で首を捻る。

「魔法薬学の、権威?」



「ああ、エバンスは知らないのか。

っていえば、代々魔法薬学とか、薬草学に秀でた家系なんだ。」

 シリウスの説明に、ピーターが続けた。

「当主は必ずなにか凄い発明をするんだよね。今の当主さんはのお父さん、だよね?」

 視線を受け、は頷く。

「うん、そうだよ。今一番有名な発明は・・・なんだろ、暴れ柳かな?」

 それを聞いて、リリーが声をあげた。

「確か汽車の中でも言ってたわよね? それに校長先生も仰ってたわ、あの大きな木のことでしょう?」

 は答えた。

「そう。何かがぶつかると暴れだすから、『暴れ柳』なんだって。

なんでも柳の木といろんな魔法薬を組み合わせて作ったらしいね」

「あたしにも良く分かんないんだけどね」

 苦笑したが言う。

 リリーは魔法薬学の授業で彼女に言ったことを思い出した。



―――「作り慣れてるっていうか・・・」



 そんな家に生まれ育ったなら、慣れているのも当たり前のことかもしれない。





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